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横山英太郎生地

 さらに三国の古い町並みを歩いていく。

 旧大木道具店は、もともと呉服店として立てられ、戦後は古美術商に使われていたという。

 主屋の1階はガラス窓で大きく開けられ、中がのぞきこめる造り。玄関脇は、このあたりでよく見かける笏谷石を腰に使ったショーウインドーになっている。

 また、通りに面した2階部分も洋室。

 表から見えるところは、洋の雰囲気が濃い。

 そして奥側は数寄屋風。扇や松をかたどった欄間が美しいという。

 つづいて元三国大野屋。

 ここも三国独特のかぐら建てだ。

 越前大野藩が財政回復のため、家老・内山良休の提案によって興した企業「産物会所」の三国支店だったところだ。

 宮太旅館もやはりかぐら建て。

 代々宮腰屋太吉を名乗って廻船業を営んでいた家で、明治はじめに旅籠も開いたのだという。セドと呼ばれる中庭を挟んで、蔵が川端まで並んでいるのが壮観だ。

 その先に横山英太郎生地があった。

 福井中学、一高、東京帝大を経て逓信省電気試験所に入所した技術者で、鳥潟右一、北村政治郎とともに世界初の無線電話機を発明したことで知られている。

 3人の頭文字をとってTYK式無線電話と呼ばれたが、同時期に真空管が発明されていたこともあり、あまり普及はしなかった。

 さらに嶋雪斎の生家がある。

幕末明治に活躍した木彫家である。慶応年間には徳川慶喜にお目通りを許されたこともあったとか。

 嶋を見出したひとりである三国幽眠の生誕碑もあった。

一般には三国大学として知られる幕末・明治の漢学者で、井伊直弼と親しく、徳川家定の跡継ぎ問題で徳川慶福徳川家茂)派として奔走したり、安政の大獄にまきこまれて中追放になったことでも知られる。

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