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私にとって

わからないだろうな。

それは人から求められてそれを行っているのだから。

自分がやりたくてやっているのではない。自分が好きで志すから続けているのではない。

重さや価値はどこにあるのか。

それは自分があると信じれば無条件に生まれるものではある。

だけどそれだけでは威力不足ではないか。

それが自分以外の人から求められるようになった時、全くの別次元のものへと変化していくということだ。

そういう能力というのは貴重なものと呼べなくはないか。

むやみに投げ出すものではない。

人は複数のことを行えない、ひとつに集中しろ、とよく言われる。

では何故世の中には「両立」という言葉があるのだろうか。

求められるからこそに志す、というとどうだろうか。

初めてそれらしい意味や重さを感じるようにならないか。

私にとって、占いというものはそういうもの。

できるからやっている。好きだからやっているのではない。

人を助ける手段のひとつに過ぎず、占い好きのマニアではない。

生活の一部というわけでもない。

占いが、ではなく人を助けるということが生活の一部なのだ。

自分を売り込んでは行かない。

だからこういう場でそういう立場としての自己主張をほとんどしない。

してこなかったし、おそらくこれからも滅多にしないだろう。

私は現実世界で生きているのであって、バーチャルの中に生きているわけではない。私を必要とし、私でなければならないものがあるもしたら、それはやはり仮想現実の空間では無いと思う。

そしてどのくらいやれるのかも伝わらないだろう。

「そこまでやれるなら、いくらでも稼げるだろうに」

そうだね。きっとそうだろう。

だけどそれは違うのさ。

私が行うのはあくまで使命感がさせているものであって、人を助けることを飯の種にしたいとは思わない。

何故って?

人は生きることに執着すれば奴隷になるからだ。

ぬるい奴等が嫌いでね。

働くために生きているわけではないし、仕事だけの人生なんてあまりに軽すぎる。それに価値がないとは言わないが、私にとっては決定打に欠ける結論になってしまう。

こういうところではどんなふうに書こうが表現しようが、会ったことが無い人からは私という人間がどんな存在なのかはわからないだろう。

「普通じゃない」と評されることは多々あるものの、人はよく「では普通とは何か?」の基準を定められない。

ならばこうしよう。

普通、というのはつまり絶対的大多数を占める意見のこと。この世界は多数を生かすために少数を殺している。

では多数派によって動かされていると言えなくはないだろうか。

よって多数派の意見の主軸こそが普通というものの基準になるのではないかと思う。

学校でクラスの皆が色々な意見を言うとする。何か決め事をするときなんかに。

そういうとき、話し合いが進めばだんだん意見はまとめられていく。そして最後には多数を占める意見が優先されて決定されていく。

例えばそういう流れにあまり組み入れられない人間。

普通じゃない、というものと非常識というものは同じではない。

私は私の自由を楽しんでいる。

だけど自由というものはあくまでも人に迷惑をかけない範疇にしか存在しない。

人に迷惑をかけるようになれば、それはもうただの「自分勝手」になる。

私が私の自由の中で育ててきたもの。

それはおそらくは人が見れば羨むようなものも幾らかあるだろう。

だけどそのために「普通」の人が当たり前に行うものを随分と大きく犠牲にしてきた。

隣の芝は青いとは言うが、実はただの無い物ねだりなのだ。

私は多くの人ができないようなことをどれだけか行える反面、同時に普通の人がある程度は持ち合わせているものを持っていなかったりもする。

どこにどんな価値があるかを決めるのは自由だ。

私は私のこの判断が誰かを不幸にしたり、迷惑をかけることにならない限りはこのまま進むのだろう。

さてと。

変な時間に変な夢で起きてしまったからついでに書いたが夢の話はまたにしよう。

私がこれまでに育ててきたものについてもまたにしよう。

そんなわけでめでたし(´ω`)

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