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ネットリテラシーの教育って今どうなってるんだろうなぁ

 昔からそうなのだけれど、やはりネット上での若い人の失言(失カキコ?)によって炎上したり騒動に発展することは後を絶たない。

 これを防ぐにはネットに触れる前にある程度のネットに対するリテラシーというか「こういうことしちゃ駄目だよ」的なことを教育しておく必要がある。

 けれど、正直そういうことを教えられる教師ってとても少ないと思う。

 第一、そういうことに対する参考書とかもとんちんかんなこと書いてたりすることも多いし、「この作者分かってないな」ということもある。更に言うと、こういうリテラシーは日々刻々と変わっていくので例えば一ヶ月みっちり教育するだけでは意味がなく、定期的にリテラシーの内容をアップデートしないとすぐに過去のリテラシーは陳腐化する。

 それを継続的に教育出来る人間がこれからの時代とても必要とされると思うのだが、――これまためんどくさい話なのだけど、「道徳」とか「マナー」の授業ってくそつまんないし受けたいとも思わないのよね(笑)

 まあこれは哲学さんの個人的な資質・傾向もあるんだろうけれど、哲学って名前してる癖にあんまり綺麗事を並べられると「はぁ……」とか思ってしまう(笑)

 もちろん、それは教師のやり方次第で「面白い道徳の授業」にすることは出来ると思うし、実際世の中には面白いマナー講座とかだってある。が、大概の道徳の授業やマナー講座とかって上から目線で「無礼者を矯正してやる」みたいなものが多い……というイメージが強い。

 まあ、これは道徳の授業に限らず、どんな授業や講座も極論、「イイ先生に当たるかどうか」によって面白さや覚えやすさは変わってくる。なので全国まんべんなくの若者にそんな授業を提供するのは難しいだろう。

 ……と、いうかここまで書いてきてなんだけど、ネット世界って、言ってしまえばスラム街のごとき「無法地帯」みたいなもので、スラム街のルールを学校で教えようなんてちゃんチャラおかしい話でもある。

 が、そのスラム街のルールを知らなければ、ふとしたどうでもいいことで人生を失う人だって出てくる。スラム街のルールなんてスラム街で生き残った人間が経験則を教えてやるしかない。

 なんとも難しい話なのだが――これはデジタルネイティヴがもっと増えて、一般家庭の人達でもネットのルールをある程度経験則で肌で知るような人が増え、親から子へ伝えていけるようにならなければ難しい……のかもしれない。

 哲学さんが渡り歩いているネットがアングラでスラム街なだけかもしれない、という話はおいておくことにする(笑)

 インターネットは常に危険が満ちているのである。

 寝る。