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口丹&北摂ぐるっと §16

止々呂美地区を過ぎ、小さな流れを境に豊能郡豊能町に入る。豊能郡は1896年に、豊島郡と能勢郡が合併して誕生した。双方から一字ずつ採って揉めない形に収めた、合併地名には良くあるパターンである。

豊能町は1877年に東能勢村が町制を敷いて誕生した。バス路線名に東能勢線を使用しているのは、多分東能勢村域を走っていたからだろうと推察される。因みに西能勢村もあり、現在の隣にある能勢町へと発展した。そちら方面のバスローブ名は西能勢線を名乗っている。

豊能町域に入り最初のバス停が高山口である。高山地区への山道が通じている。バスはこれより北側にある道を経由しているが、道路の取り付け方を見るに、こちらが旧来からの道であるように思われる。

高山地区には、豊能町で一番の有名人の高山右近を輩出した所である。安土桃山時代の武将でありキリシタン大名として知られ、高槻城主だった人物である。妻は同町内にある余野城主の娘、洗礼名ジェスタである。

高山が産地のひとつである能勢石(黒御影石)を用いて、町内には高山夫妻の像が建立されている。また豊能産キヌヒカリ100%と右近が洗礼を受けた奈良県宇陀市の水を使用し、宇陀市の酒造会社に醸造して貰った純米大吟醸酒「右近」もある。

そんなにも高山右近愛がある豊能町だが、高山地区は1955年までは茨木市に属していたのだった。

国道423号線は、別名摂丹(摂津国丹波国を結んでいるから)街道と呼ばれている。主要経由地である余野を境に、以南を余野街道、以北を池田街道とも称する。茨木から至って来た道が亀岡街道にあたり余野にて合流している。

余野地区は豊能町の役場所在地であり、公共施設も集中している中心的な集落である。役場の真ん前に余野バス停があり、一人が下車した。一桁台の車内の客が更に減ってしまった。阪急バスの余野バス停で気を付けなければならないことがある。それは余野バス停が二ヶ所に分散していて、まるで別個のバス停みたいな関係になっていることである。

余野(豊能町役場前)バス停は国道沿いのまさしく役場の前に設置されている。余野(東能勢中学校前)バス停は、役場の東側へと通じる道路を進んだ裏側、歩けば五分ほど要する地点に設けてある。大住宅地を経由し千里中央駅方面に向かう便の殆どはこちらが起終点となっており、バス待機用地もあり若干ターミナル然とした様相を醸し出している。一部の便は役場前の余野バス停経由で、中学校前の余野バス停が終点となるややこしいのも存在している。全く用途が違うのだから、停留所名を改称すればいいように思うが、バス会社の考え方は異なるようだ。利用者が少ない役場側を、例えば「豊能町役場前」とかにすればスッキリするのだが。

全国に居る余野姓のルーツは、三重県伊賀郡(現伊賀市)とここの二ヶ所だそうである。

余野バス停を過ぎると、東側の高台の上に建物を見ることが出来る。これは2008年に閉校となった大阪府立城山高校の校舎である。その名が示す通り、城跡だった高台なのだった。全国的にみても、城跡に学校施設が建てられる傾向が多いように思う。余野城は明応年間に余野頼幸が築城したが、1584年に落城してしまった。ここの城主の娘が、前述した高山右近の妻だっはた訳である。

集落の南側の木代口交差点で府道110号と、北側にある切畑口交差点で府道109号を分かつ。どちらも茨木方面に行けるが、亀岡街道は110号がそれにあたる道である。千里中央方面への便は110号を経由し、茨木方面への便は109号を経由する。より山里の雰囲気を堪能したいならば、109号経由をお勧めする。茨木市箕面市池田市豊能町を囲う区域には阪急バス路線が決め細かに設けてあり、バスマニアには堪らない。だが阪急バス全体が乗り放題となるフリーチケットは、スルッとKANSAI 2daysや3daysが発売中止以降は存在しない。正規運賃での乗車となりお財布に優しく無くなってしまった。ICカードでもフリー区間設定は可能な筈で、何らかのアクションが待たれるところである。

妙見口バス停は、読んで字の如く能勢の妙見さんへ向かう道路が分岐する所にある。高山地区への新道を分かつ北摂信愛園前バス停近くから分岐する府道4号からが妙見山への旧来の道のように思うが、道路状況的にはこちらからが楽に運転出来るかなと思う。休日に限り、余野から妙見山上までの便が二往復設定されている。「車を運転出来ない参拝者は麓から歩いて登らねばならないのか」という声も聞こえてきそうではあるが、心配はご無用である。能勢電鉄妙見口駅経由で、リフトを利用して参拝ルートが確保されている。

阪急が販売している能勢地区へのフリーチケットがある。阪急と能勢電鉄がフリー乗車でき、指定バス区間とリフトとケーブルがフリー区間となっている。料金は1,700円で、梅田から妙見山上を単純に往復しただけでも軽く2,000円を越えるからお得なチケットである。因みに妙見山にある妙見山簡易郵便局には、簡易郵便局では数少ない風景印が配備されている。

バスは余野川に沿う山あいを走っている。客は私と高齢者の二人だけであるが、そのまま終点の牧に到着した。バス転回用の用地を確保した牧バス停である。牧地区は元は京都府南桑田郡西別院村だったが、山を越えまくる京都側よりも、川沿いで交流のある大阪府側への編入を強く望み続けたのだった。それが実り昭和33年にめでたく東能勢村に編入されたのだった。

バス停近くには浄土宗八王山梅相院がある。1581年に覚道上人により開創。江戸時代の頃より、亀岡城主である前田家の菩提寺となった。薬医門形式の特徴ある山門がある。集落の西側には牧大歳神社がある。850年創建の古社で、牧村の産土神である。境内には1717年の石の鳥居や、1838年の石燈籠がある。また地区の南側には、シーズンには一万平米の土地に百万本のコスモスが咲くコスモスの里がある。東側には伝説のある鴻応山があり、ハイキングの地にもなっている。

実は私はバスに乗りながらも、余野を過ぎてからは気を揉んでいた。何故なら牧での微妙な乗り継ぎがあるからであった。2分遅れたらまずアウトが確実視される状況。

バスは1分遅れで到着したのだった。私は降りるや否や、足早に国道を歩いたのであった。